空手関係上部団体で要職を歴任、世界大会等の県催事で役職、模範演武も多い。 |
仲宗根先生の指導は、英才教育のため、その鍛え方は厳しく、1日6〜7時間の稽古で、瞬時たりとも息つく間もなかった。 現今の社会機構の中で、 昔風の指導方法では、今後、門弟を指導 するにあたって適合しない面があるので、現代的な指導方法をどのようにすべきかと悩んだ末、以前(昭和31年頃)、 職場が一緒で空手を 通して懇意にしていた福地先生のところで、現代に即応した指導方法を学びとりたい一念で先生のところへ行ったが、仲宗根先生の高弟であることを知り、なかなか入門を許さなかったが、 十数回も通ううちに、福地先生はその熱意に打たれ、やっと入門を許可した。 福地道場では、即座に副師範を仰せつかり、門下生の指導育成にあたった。 その時、福地先生は、仲宗根先生の了解を得て、是非、剛柔流と一緒に泊手も指導して欲しいと切望されていたが、 仲宗根先生の御要望と福地先生の遺志を受け継ぎ、 二代目専武会々長として剛柔流の普及発展に努める傍ら、 専武会の高段者に対し、泊手も指導してきた。 昭和57年3月には、剛柔流と泊手を合わせた新しい流派 (剛泊流) 沖縄剛柔流・泊手空手道振興会 (剛泊会)を設立したが、 さらに、昭和61年1月には、沖縄剛柔流・泊手空手道協会を創設し、組織も大きく拡充された。 出典:沖縄剛泊会空手道 −20年のあゆみ− 昭和61年8月1日 沖縄剛柔流・泊手空手道協会 発行 渡嘉敷唯賢会長先生 著 |
総本部館長 渡嘉敷唯夫 |
総本部東京支部館長 尾上昌隆 | 総本部千葉支部館長 松稔 | 総本部千葉支部館長 越中圭一 |